スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。

今日は来春から通う中学校へ行動援護を利用して歩いてみました。
20分でつく近道もあるんですが見通しがよく、
自動車で追いかけられて、
車道を横断しなくて良いコースを歩いてみると34分。

距離的にはなんの問題もないんですけど
朝の早起きが定着するかどうかわからないので
はじめはスクールバスを使う予定ですが
いずれは一人で歩くほうがストレスの発散にもなるし
相乗りで行くより本人向けなのではないかと思っています。

ちょうどブラスバンド部の定期演奏会の日。
私と別行動の息子と支援の方は2時間近く演奏を聴いていました。


私も行きましたが・・親いないほうがしゃんとしています。
(できるだけ離れた位置で行動を観察していました)

演奏会を途中で抜けたのは外を歩く予定もあったため。
5時間の支援の時間の配分を自分で決めています。

時間とある程度のイベントの目安は伝えますが後は自由設計。
決定権を息子に持たせることで
プライドがくすぐられないかな、と思っています。
(親は・・・。)


_______________________________

海外には『重度の自閉症なのに軽度程度にしか見えない』人たちが
けっこうおられるそうです。

その人たちが『落ち着いて見える』のは

1、周囲に(彼らにとって)わけの判らないことをする人がいない。
2、怒鳴りつけられたり怒られたりしない。
3、彼らが理解しやすい生活をしている。

・・・からだそうです。
耳からの認知が苦手な人たちに『視覚支援』をしないのは
白い杖や、車椅子を必要な人から奪うのに等しい、
『社会は甘くないから』と支援の手間を省くのは
『虐待』に近いのではないかという考えもあります。

人間はもともと『一人一人がみんな違う』のであり
それぞれの個人にあった生き方の『カスタマイズ』が必要です。
なかには
『みんなでいっせいに』という掛け声で
とても苦しむ人たちもいておかしくはないわけです。

就学を向かえ『普通級に入れたい』という親の願いは
いたいほどわかるのですが
何とかついていっていた勉強も9歳のカベにあたります。
子どもさんの様子を見て
場合によっては低学年の節目である2年生で
進路を見直す必要もあるようです。

にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村


TWITTER mixiチェック 楽天ソーシャルニュース 楽天プロフィール シェア
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

海外で思うのは...

障害者であることがわからなければ、手を差し伸べてくれない。

でも、わかると、すごく暖かく支えてくれる...

受け入れられる環境は、整っているのかもしれません。

なかなか、日本と、どちらがいいとは、いえませんね。

Re:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

勉強についていけなくなるのは、だいたい3〜4年生位だそうですね。

支援級に移るのか、普通級に残って頑張らせるのかは、親の判断が問われる所です。

私もその時がきたら、子供にとってbetterな選択を取れる様にしたいと思います。

上に上がるほど

こういう問題。上に上がれば上がるほど、難しくなりますよね。



うちも普通に見られるけど、話してみると「この子違う。」となるパターンで、支援学校のみんなには、普通級でも大丈夫だよ。としきりに言われます。



向こうだとこういう事はないのかな。でも、日本よりは受け入れてくれる確率は、やはり高いと思います。



今後の娘の理解と生活面の力の、付き方によっては、小学生のうちに支援級か普通級に移る事も、選択肢としてあるだろうけど、今の時点では考えていません。

Re:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

アメリカでは、障害児は守られています。



放浪するようなこともないと思います。

きちんと監督されていくので、逆に自由がないようにも感じます。



自分だったらどっちがいいのか、考えさせられますね。^^

Re[1]:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

HANG ZEROさん

今回の話も療育をすることを職業にされている方のものを私なりに解釈したものなので私がこういう考えに一致しているわけではありません。

むしろ6年の学校生活を終えようとしている今だから「そうかもなあ」と思うことができるのであり正直未就学のころからこういう理論にはまってしまわなくてよかったと「私は」思っています。





>海外で思うのは...

>障害者であることがわからなければ、手を差し伸べてくれない。

>でも、わかると、すごく暖かく支えてくれる...

>受け入れられる環境は、整っているのかもしれません。

>なかなか、日本と、どちらがいいとは、いえませんね。

- - - - -

Re[1]:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

starmayさん

この「9歳の壁」というのはもともと聴覚に障害をもった子どもたちに対して使われていた言葉です。

今は絶対学力がらみでよく使われますけど。



高学年に入り聞くこと重視になってくると聴覚障害のある子はどうしても乗り越えられない時期が来る、というようなことでサポートの重要性を考える言葉です。



サポートができれば、

うまく乗り越えさえできたら・・・という思いですね。

Re:上に上がるほど(10/30)

みかんさん

うちはみんなといたがります。

しかし普通級と交流していても器質的にきついのは自分でも気づいています。

どこで折り合いをつけるかですね。





ぱっとみでわからないといわれても

友達の気を引きたいときに

どうしたらいいかわからないのが

情緒的に未熟な子供で



かまってほしさに一方的に付きまとったり

あるいは迷惑行動をして嫌われるようなことになったり

または相手をしてもらうまでじっと動けなくなったり

しています。



6年生にもなって

気に入ったクラスメートが迎えにくるまで

座り込んでるとか

それは甘えてるんだけど

迎えに来てもさらにふてくされて

無視するみたいな行動をとり続けたりすることは

勉強についていく以前の問題。



でもそれがその子の今の発達の段階なんです。



こういう子はわがままと切り捨てられない環境は必要だと思いますね。

>こういう問題。上に上がれば上がるほど、難しくなりますよね。



>うちも普通に見られるけど、話してみると「この子違う。」となるパターンで、支援学校のみんなには、普通級でも大丈夫だよ。としきりに言われます。



>向こうだとこういう事はないのかな。でも、日本よりは受け入れてくれる確率は、やはり高いと思います。



>今後の娘の理解と生活面の力の、付き方によっては、小学生のうちに支援級か普通級に移る事も、選択肢としてあるだろうけど、今の時点では考えていません。

- - - - -

Re[1]:『視覚支援』をしないのは必要な人から白い杖や車椅子を奪うのに等しい。(10/30)

milkyway.さん

アメリカ的な理論は「管理する立場の視線」だと私個人は考えています。



どれだけ効率よく似た特性の人を管理できるか。



今よく言われる「合理的配慮」も日本人的にはみんなはひとりのために、見たいな受け取り方ですけど『合理的』=「無駄がない」ということでやっぱり効率と無駄の排除をうたう言葉だと感じています。



理論と愛情は両輪

効率と回り道も両輪

理想と生活も両輪です。



周囲を理解者ばかりにするのが理想ですが

それだけってまるで隔離ですよね。



理解ある人たちのいる場所を持ち

さらにイレギュラーな世俗での暮らしも選べる

その中で両方にどのようにかかわっていくのか

本人が選択して暮らすことが

自立だと私は目指しています。



>アメリカでは、障害児は守られています。



>放浪するようなこともないと思います。

>きちんと監督されていくので、逆に自由がないようにも感じます。



>自分だったらどっちがいいのか、考えさせられますね。^^

- - - - -

プロフィール

管理人

Author:管理人
FC2ブログへようこそ!

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
リンク
最新コメント
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
カテゴリ
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。